寒月記

住みにくいところをどれほどか寛容て

書評:『黒猫の三角 Delta in the Darkness』 (森 博嗣)

「……世の中には、テンプレートが必要なんです。定規がないと、線も引けない連中が多い。何かないと不安なんです。自由な思考、自由な価値観を持つことが恐い。そんな連中で溢れているんですよ」

『黒猫の三角 Delta in the Darkness』p. 375


「あなたは考え過ぎだわ」
「そうです。考え過ぎた。きっと、みんなは考えないんでしょうね。ちっとも考えていない。そう、それが幸せだ。その方が便利だ。……」

『黒猫の三角 Delta in the Darkness』p. 389

感想

 本書を読み終えた後、私の中では「惰性」という言葉が、大きな存在感を持って頭に残っていました。
冒頭引用した台詞は、物語の重要人物がクライマックスの場面で語る言葉です。
この人物は、惰性に任せて日々を過ごすこと、思考停止への忌避、嫌悪をこの前後でにじませます。

 人間は、生きている中で定型的な作業を効率化していく生物です。
脳という有限の資源をいかに効率よく利用するかについては、この脳の主であるはずの「自分自身」が「意識的に」どうこうしなくとも、ある程度は最適化されていきます。
 例えば、「家の鍵を閉める」という行為は、繰り返すうちに意識に上らなくなります。
ドアに背を向ける前後、鍵をかけたか不安になり、ドアを引いてみると、ちゃんとかかっていた、という経験はほとんどの人があることでしょう。
 計算や楽器の演奏、スポーツでも、いわゆる「身体が覚えている」状態にすることは、上達に不可欠の過程です。
基本的な行動を最適化して消費資源を圧縮し、その他のことに脳を使えるようにしていると言えます。

 ですが、こうして最適化され、意識に上らなくなった情報については、悪く言えば「観察」「考えること」を放棄していることになります。
例えばシャーロック・ホームズでも、「見ることと観察することの違い」を、ワトソンに語る有名なシーンがあります。

「見てはいるが、観察していない。差は歴然だ。例えば、君も玄関からこの部屋までの階段は何度も見ているね。」
「何度も。」
「幾度?」
「ん、何度となく。」
「では何段ある?」
「何段とな?知らんよ。」
「無論!君は観察していない。だが見るだけは見ている。それが差だ。さぁ、僕は十七段あると知っている。見、そして観察しているからだ。」

アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle 大久保ゆう訳 ボヘミアの醜聞 A SCANDAL IN BOHEMIA


 ホームズが天才的な探偵であるのは、こうした観察力に支えられている部分があります。
そしてこの「観察」は、ワトソンのように、通常は行わないものです。
しかし、その行為の差が、天才的な探偵とその他の人を分けている一因になっています。


 脇道に逸れてしまったので、話を「黒猫の三角」に戻しましょう。

 このように、通常人は、日々の行動を最適化して、ある種効率的に生きています。
この考え方を広げ、「一日」から「人生」のレベルまで視野を広げてみると、私は「今自分が乗っているレールに沿っているだけ」で人生の数年間を過ごそうとしていたことに気づきました。
これが、作中で「惰性」と呼ばれているものだと、私には感じられました。

 やりたいことは多くあったはずで、小さい頃は「夢」を持っていた。
しかしいつからか、どこかで終わりを迎える人生のレールの敷き方を懸命に考えることはことはほぼなく、社会的要請に迫られた際に決めた方向性に進むだけだったのではないか。
そんな思いが本書を読んでいる最中、読んだ後、去来しました。

 惰性というものは強力で、そこから抜け出すには相当な力が要ります。
また、「惰性から抜け出す」ことを常に志向するようになったら、今度はそれが、無批判に実行される、思考の盲点とも成り得ます。
しかし、当然生きている間中の注意のフル稼働など、有限の資源しか持たない人間には不可能でもあります。
また、仮に家の階段の段数を「観察」できていたところで、名探偵でもない我々にはそれが活きることはほとんどなく、他に資源を回した方が有益でしょう。

 以上から、惰性を脱するにも「結局のところバランスが大事」という、それこそ惰性で弾き出されたような月並みな言葉に落ち着いてしまいそうですが、
それでは何も学んでいないに等しいので、『黒猫の三角』が現時点で私にもたらしてくれた学びを、もう少し具体化してみます。
それは、「自分の人生を定期的に観測し、惰性に流されていないか確認する」 です。
止めることも遅らせることもできず流れていく有限の時間を、できる限り後悔なく使って生きたいと、改めて思わせてくれた作品でした。

 最後に、主人公の一人である瀬在丸紅子の言葉を引用します。
色々と上で理屈めいたものを書きましたが、それにも囚われることなく、惰性に身を任せる「周囲」にも囚われることなく、生きていきたいものです。

「理屈を求めることが、あるときは、思考を狭めるのよ」紅子は優しい口調で言った。「最先端の自由な発想とは、理由も、言葉も、理論も、まだないところへ飛ぶことなの。そこへ飛躍できた人だけが、そのインスピレーションを摑むことができる。それを凡人が、あとから丁寧に理屈をつけて、そこまで行ける道を作るわけ」

『黒猫の三角 Delta in the Darkness』p. 432


黒猫の三角 (講談社文庫)

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シャーロック・ホームズの冒険―新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)

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出典

※『黒猫の三角 Delta in the Darkness』の引用は、森 博嗣 著、(2002) 講談社文庫版によります
※『ボヘミアの醜聞』の引用は、アーサー・コナン・ドイル 著、大久保 ゆう 訳、青空文庫版 (https://www.aozora.gr.jp/cards/000009/files/226_31222.html) によります